学選の記事が載りましたが、ここでハンググライダーの大会について振り返ってみましょう

そろそろ大学受験を終えた受験生の皆さんが、大学に入って何をしようかなーと色々なサークルのHPを巡回している頃でしょうか。そうした方々がこのblogを見つけて読んでくださっているとすれば、ありがたい限りです。
さて、このblogを読んでいる方の中にはおそらく、そもそもハンググライダーの大会って何を競うんだ?と思っている方もいるでしょう。そこで、単に「空を飛べて楽しい!」というだけに留まらないハンググライダーの魅力の一つとして、大会ではどんなことをしているのかをお伝えしたいと思います。

2013年度には、ハンググライダーの学生大会が2回行われました。SYLPHが普段活動している足尾エリアで8月に行われたnasa STUDENT CUP(通称nasaS)、そして2月に和歌山にあるエリアで開かれた全日本ハンググライダー学生選手権(通称学選)です。こうした大会では、2ndクラス・1stクラス・エキスパートクラスの3つのクラスから、自分のレベルに見合ったクラスに出場することになります。競技内容もクラスによって違います。
まず、着陸の正確さを競うターゲット競技(アキュラシーとも)。よく「狙った場所にちゃんと降りられるの?」と聞かれますが、田んぼ数枚分ある着陸場に降りるのは、山から飛べる人なら誰でもできます。しかし、狙った一点に正確に降りるとなると難しい。風の強さや向きを始めとしたコンディションを考慮し、うまくグライダーを操作する必要があります。このターゲット競技では、決められた地点から着陸した場所までの距離の短さを競います。
滞空時間を競うのがデュレーション。テイクオフしてからどれくらいの時間飛んでいられるのかは、気象条件とパイロットの腕次第。上昇気流(サーマル)のある場所で旋回したり、山の斜面に当たって吹き上がる風を利用したりすることで高度を上げ、できるだけ長く飛ぶ競技です。高度を上げる難しさの一つが、サーマルが目には見えないということ。どこにあるかわからないサーマルを探すために、雲の発達を眺めたり風を感じたりととにかく感覚を総動員します。どこにサーマルができやすいのかという知識も必要です。
ターゲットとデュレーションは2ndクラスで行われます。それより上の1stクラスで行われるのがサーキットレース。3ヶ所か4ヶ所、パイロンと呼ばれるポイント地点を定めてぐるぐる回る周回コースを設定し、その上空を飛んで、決められた時間内に到達したパイロンの数を競うものです。そして、一番上のエキスパートクラスの競技がパイロンレース。パイロンを順番に通過してゴールに向かうコースをできるだけ短時間で飛ぶ、いわば空中オリエンテーリングです。
1st,エキスパートクラスでは、技術だけでなく戦略性も問われてきます。ある場所からある場所へ普通に飛べば高度が落ちてしまう。なので、パイロンから次のパイロンへ直線で向かうより、高度を上げられる場所に寄り道した方が有利になる、ということが起こりうるわけです。さらに、サーマルのある場所でいつも旋回すればいいというわけではなく、上昇率の悪いサーマルや、風で自分が流されてしまうようなサーマルは、利用すると得なのか損なのか判断しなければなりません。また、スピードを出すと高度が落ちやすくなるため、最適なスピードを考えて飛ぶ必要があります。こうした戦略性は全て、高度を稼ぎながらレースをしなければならないという、フィールドが3次元であるハンググライダーならではの面白さに由来するものです。ここには他のスポーツでは味わえない緊張感があります。
自分が他の選手たちよりも高いところにいると優越感が持てるし(まさに他の選手たちを見下ろす感じ!)、自分より高い選手と空中ですれ違ったり抜かされたりすると悔しい!と思うわけです。これが白熱する瞬間です。競技自体の面白さだけではなく、自分が普段飛んでいるエリアと違うエリアで飛べることや、関西とか東北とか他の地域の大学の選手と交流できることも大会の醍醐味の一つです。

ハンググライダーの大会でもう一つ特徴的なことは、ほとんど学生だけで運営されているということ。安全に関わる部分はプロのインストラクターの方に協力していただきますが、それ以外、スタッフから得点集計、実行委員長に至るまで全て学生です(筆者は昨年nasaSの実行委員長を努めましたが、その時の記録がこちら)。ハンググライダーがマイナースポーツであるが故の苦労ですが、学生の手によって作り上げられる大会は魅力的なものです。例えば足尾エリアでは年にハンググライダーの大会とパラグライダーの大会が行われますが、ハングの大会ではパラの選手が、パラの大会ではハングの選手がスタッフとして手伝って大会を盛り上げていくわけです。助け合いです。余談ですが、とある先輩は面接で実行委員長を努めた話をして大手自動車メーカーの内定を勝ち取ったとか。まあそんな風に直接役に立つかはともかくとしても、大会運営に携わるといい経験になります。 本当に。

誰でも最初は空を飛びたい!と思ってハングを始めます。でも、いざ空を飛べるようになってみると、まだ飛べなかった頃には想像もしていなかったような楽しみ方がまたさらに見つかります。自分も先日の学選に出場して、これから大学生活が忙しくなってもハングを続けていきたい! と思いを新たにしました。
ここまで読んでくれた方、大会の競技って難しそうだな…と思いましたか?新入生は5月にハングの練習を始めると、夏の終わりから冬には飛べるようになり、その次の夏の大会にはもう出られるようになります。少しでも面白そうだと思ったなら、スカイスポーツを始めること、考えてみてください。

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学戦TT

日本ハンググライダー学生選手権2014in紀ノ川、学選2014が終わりました。

 前日
サル壁でわりと簡単に上がるがトップアウトしかできず、パラ尾根の方が上がっていたため移動、1300くらいまで上げサル鉄塔でもう一度あげ直しつくば南斜面へ。1100くらいで全然よくなかったから東に移動。ヘリの音が聞こえたのでショップへ帰る。
西風っぽかったのでサブランへ。こっちはこっちで南で降りづらい。100mくらいからサーマルがあり300くらいまであげ直しショップへ。南西。南東アプローチしようとおもったが、途中で完全に西になったため西アプローチへ変更したのが間違い。
西側の斜面登り切ったところの小さい林を中心にぐるぐる回って想像していたアプローチに近かったが、最後の最後で林のローターで高度が一気に落ちてギリギリ入れるかと思ったが背の低い果樹の枯れ木?みたいなのに右翼があたり沈。
これで右翼端のリミッター入れるチャックから翼端側が切り裂き、まいらーとのつなぎ目だったので死亡。さらに真ん中側にもまっすぐな切れ目が。
ショップに戻るとニヤニヤの上原。くそが!でも可哀そうだと龍郎をおごってもらいました。ありがとう。
学選前日で間に合わず、横国のさきのファルコンを借りて学選へ行くことへ。

ボンゴに乗り、上原、俺、だいよーさん、竪山の4人で竜門へ。馬場さんは現地で合流。

 1日目
渋滞で予定より二時間くらい遅くなり、7時半くらいにぎりぎりアウトで竜門へ到着。エントリーしてリーグの仕事して山に上がる。
タスクは寺山、牛小屋、ゴルフ場。北東の風わりと強し。
なんやかんやでテイクオフ。みんな寺山へ向かうので俺もついていく。ダブルとの到達高度が違う!さらにめっちゃ風強くて流されすぎて、ファルコンの回し方がわからん!ダブルが上がっていく中、竪山としぶとく粘る。そのうち30分くらいしてゴルフ場がわのリッジ交じりのサーマルに乗り継いで、牛小屋まで無理やり突っ込む。一気に強いサーマルで1000くらいまで上がり、周回開始。ゴルフ場まではリフト、シンク、リフトのような感じで、そのままリフトで回し流され寺山を取り、少し高度落としつつ牛小屋にもどる感じで周回開始。
5週と2個くらいだったかな、上原と同じだったのでシングル補正でわずかに勝利。2時間半。デイリー6位。
一位は9週と2個だったかな。

 2日目
12時くらいにTOだったかな。また北東。また竪山と寺山でしにかかってると、ドクターヘリがくる連絡。と、同時にいい上がりをし始め250くらいから400くらいまで一瞬で上がってきたが、降りるように指示があり悔しいながら降りた。ダブルで山頂近くのヒトたちはフリーフライト。くそおおおおお。30分くらい。

 3日目
12時くらいにTO。またまた北東。かなり強い。タスクは寺山、牛小屋、タイムリー跡(セブンイレブン)、竜門LD。
牛小屋に回り込もうとするもタイミングとコース取りが悪く、回り込めず寺山に逃げる。死にかけてると、LDから竪山どこにいるか連絡。竪山「牛小屋1000くらいにいます」が俺の心を切り裂いた(らみなーる的に)。つらい。俺だけぶっ飛びか?と思ってすげー粘ってると復活!牛小屋言った時点で寺山取れておらず取りに行くと牛小屋戻ると900くらいまでしかあがらず、結局牛小屋→タイムリーがかなーりきつく、そこから寺山に戻り低く粘り、ある程度上げて竜門LDへ。だめだ、L/Dが基本4、そこそこ3、たまに2になる。進まない、落ちる、上がらない。牛小屋に退避しようかと思うが、この調子だと700くらいないとLD届かず、山沈…?そう思うとLDして一周して満足した方が…と心の弱さが。結局降りてしまった。
ぶっちゃけシングルで1周しただけで十分だと思った。この日は心を折られた。
1時間半くらいか、デイリー6位。
1位は5週と2個だっけ?

 4日目
12時くらいにTO。またまたまた北東。かなーりつよい!タスクは寺山、牛小屋、竜門LD、タイムリー。
最初に回り込んですぐにトップアウトするものの、あまり上がらず、調子のってTO上にいくとローターかぶってめっちゃ落ちる。そのまま寺山に逃げる。いい上がりをしているパラを見つけたのでそこへ行くと+4くらいで一気に上がり、途中馬場さんと回す。1300くらいまであがり、その後牛小屋にいくも全然リフトないまま落ちていき、無理やり竜門LDへ。牛小屋→竜門LDがシンクがひどく、風も強く、900くらいあったのが200くらいまで落ちる。そこから川沿いにリフトを見つけ、それがそのままタイムリー近くまで続いていたので竹房に降りる気で突っ込むと、タイムリー目の前で強いリフト。1200くらいまであげ、リフトを乗り継ぎ寺山を取り、1周目と同じ感じでもう一周。さらにもう一周しようとすると、竜門でミスって700くらいまで落ち、竜門LDへ。100くらいでついてわりと広くて良いリフトがあるものの、流されがひどくミスるとアウトランの可能性があったためあきらめてLD。
2週と3つ。1時間50分。デイリー3位。
1位は5週と3つ。

結果
4位。3位まで500点。上原には勝った。あと年間リーグ1stクラス2位。
表彰台登れなかった、くそおおおおおおおおおおおおお

 感想
シングルもどかしい。風強いと、進まない上にリフトでは流されるしシンクでは嵌って抜け出せない。また、最初の到達高度が違いすぎるのがあまりに痛い。こうバンバン飛べる日が続くと距離得点が1.1~1.2倍ではあまりに小さすぎると思った。
ラミだったら、と思うと、day3は勝てなかったと思うが、他の日はいい勝負したと思う。
ラミを裂いたのは自分のせいなので仕方ないが、これは悔しい。
次は負けん。負けんぞ!!!
しかし長屋も名草も片岡もうまかった!nasaSよりみんなレベルが断然上がっていて危機感!

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学戦0日目

とーちかです

学戦0日目

つくばいったり調子いいなぁーとおもったら

らんでぃんぐミスり 裂けるラミナール、できました。

さきのファルコン鵺で大会いきます。感謝。

慢心してましたね

あ、あと代わりに新一が初飛びました。おめでとう!

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無限ループって怖いよね

自分は高校3年生の時、某大学に落ちて浪人をしました。当時は自分の得意な単元、苦手な単元の判別も出来ないくらい勉強不足だったので、1年間予備校に通い、ゼロから高校の勉強をやり直しました。現役で大学に入った部活の同級生が「飲み会うぇーいwwww」「彼女出来たったwwww」「旅行うぇーいwwww」なんてやってるなか、落ちこぼれた我々浪人組は黙々と勉強してたわけです。しょうがないね。サボってたツケが回ったorポテンシャルの問題だもの。

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

 

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

っていう夢を2年生くらいの頃に見たっていう話をしたら、サークルの同期が「俺も似たようなの見たことあるわ」と盛り上がりました。無限ループって怖いよね。

 

 東工大受験生の皆さん、頑張って下さい。応援してます。

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2014/2/1~2/2

誘導とれた次の日にツリーランしたまあこです。
どうも、お久しぶりです。
ツリーランした際は色々な方にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

さてさて、テスト期間が終わった私立勢とテスト期間真っ最中の東工の先輩数名と共にイプサムに乗って足尾へ行ってきました。
行きはドラの長井さん、TAさん、TTさん、せいや、なほ、きりん、私でした。実はイプサムに乗って行くのは初めてでした。

今回の目標は誘導を取ることでした。初飛びしてからパラは大体30本程で無線誘導が取れるのですが、12月上旬に誘導を取るための見極めを2回成功し年内には誘導が取れるだろうと思っていましたがそこからが長かったです。LDに入る高度が低すぎて木に突っ込んでいったり、アプローチの仕方を間違えたりしてようやく誘導がとれたのは2回目の見極めから12本飛んで34本目でした。LDで板さんに頑張ったね、と言われたのが嬉しかったです。

正直12本も見極め失敗していたので誘導が取れないんじゃないか、飛ぶの怖いなぁと思い足尾に行きたくない時もありましたが、飛ばないことには誘導はとれないし、苦手なLDも克服できないので同期や先輩方に励ましてもらいながらの見極め成功でした。
同じシルフでもあり同期のこじは誘導が20本台で取れ、それに対して私も負けてられないと意気込んでましたか見事に空回っていました。本数にこだわっていた私ですが、本数よりも飛びの中身の方が大切だということにようやく気付けました。
私はどうやら器用な方ではないので、上達するには時間がかかりそうですが丁寧に操作することを心がけて飛ぼうと思います。初飛びからがスタートというのがよく分かり、今はまだ楽しいというよりは操作でいっぱいいっぱいで上手くいかず落ち込んだり、逆に褒められて喜んだりと飛ぶ度に様々な感情が渦巻いている最中です。早く先輩方のように楽しく飛べるようになりたいです。

LDを自信をもって出来るようになるのが今の目標ですね。
同期とはこれからもお互い刺激しあって上達していきたいです。

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