無限ループって怖いよね

自分は高校3年生の時、某大学に落ちて浪人をしました。当時は自分の得意な単元、苦手な単元の判別も出来ないくらい勉強不足だったので、1年間予備校に通い、ゼロから高校の勉強をやり直しました。現役で大学に入った部活の同級生が「飲み会うぇーいwwww」「彼女出来たったwwww」「旅行うぇーいwwww」なんてやってるなか、落ちこぼれた我々浪人組は黙々と勉強してたわけです。しょうがないね。サボってたツケが回ったorポテンシャルの問題だもの。

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

 

浪人時代の楽しみといったら、午前中の授業が終わって友達と昼飯を食いながら繰り広げるえげつない下ネタトーク、あの娘可愛いトークとか、家に帰ってエレファントカシマシのPVをYouTubeで観るとか(当時はニコニコ動画を知らなかった)、そんなもんなわけです。で、朝起きたら授業受けて昼食とって授業受けて自習して家に帰ってYouTube観て以下無限ループ。無限ループって怖いと、生まれて初めて思いました。

夏になると現役生が模試にて頭角を現しはじめます。浪人してんだから余裕だろと思いきや、まさかのフルボッコ。浪人開始当初、親から言われた「お前がその大学に受かるわけねーだろ。何浪したって無理だから下げろ。」というセリフが脳裏をよぎります。「うるせえ!やってみねーと分かんねーだろ!!」と啖呵を切った手前、もちろんこんな結果は見せられません。スポンサーたる親に模試の結果を隠す罪悪感、「不合格」の3文字が迫りくる焦燥感。高い気温とは無関係な汗が、一人になるたびに吹き出します。床に就くと耳鳴りがします、吐き気がします、胃がキリキリと痛みます。狂気寸前。その狂気から逃れようと、ひたすら微積の問題を解きまくったのをよく覚えています。

秋になりました。各大学別の模試がこのくらいの時期からスタートします。「秋の模試までに、親を納得させる結果が出なければ、第一志望校は諦める。」という約束を浪人当初にしてたので、ここが一つのターニングポイントになります。「さぞ緊張したんだろう」と思うかもしれませんが、このくらいの時期になると、感覚がマヒしてきます。もうね、何も思わない。毎日が同じこと=勉強 の繰り返しなので、たとえ第一志望大学模試といえど、そんなものは私にとって日常の一部。「朝起きて、飯食って、洗顔、歯磨きを済ます」っていう朝の一連の行為と同列。何も思わない。「無感情」って言うと中二病っぽく聞こえるけど、本当にそんな感じでした。

無感情が功を奏したのか、一応親を納得させるだけの結果は出ました。このころから親の態度が変わり始めます。当時はvipperの如き手のひら返しに少しイラッとしましたが、もはや受験マシーンと化した自分。その程度の感情の起伏は簡単に抑えられました。

冬になりました。センター試験直前期です。当時はまだセンター試験の得点が合否に関係ありましたので、一応の対策はとりました。その結果、本番で良い方向に大爆発しました。「ああ、第一志望校はまだ分からんけど、とりあえず大学には行ける。」と安堵感がこみ上げたのを覚えています。この頃になると、とにかく早く解放されたい、自由になりたいという気持ちが、第一志望校に行きたいという気持ちよりも強くなります。その後は惰性で勉強し、本番ではレジェンド化学に飲み込まれながらも、何とか合格することが出来ました。

国立大学受験を控えている浪人生の皆さん。これまで長く、辛い道のりだったかと思いますが、もう少しの辛抱です。これまでの努力は、決して無駄ではありません。自分を信じて臨めば、必ず結果はついてきます。このブログをみている方の中には、某工業大学が第一志望の方もいるのではないかと思います。春に、そんな皆さんと出会えることを楽しみにしてます。頑張れ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつから「これでこの記事は終わりだ」と錯覚していた?

 

さて、無事浪人を終えた自分は、晴れて大学1年生になりました。新しい環境、新しい出会い。期待に胸を膨らませながら臨んだ大学生活は、自分が浪人時代に思い描いていたそれとは違いました。本当に自分はこの学科で勉強したいのか?選んだサークルはこれで良かったんだろうか?大学の人間関係ってこんなものなの?あらゆる大学生活に対する「疑問」を抱えながら、なんとなく講義を受け、なんとなくサークルに通い、なんとなく学科を選び、なんとなく2年生になりました。

2年生になると、いよいよ専門的な勉強をしていきます。専門的なものを学べば学ぶほど、「この学科で良かったんだろうか?」という疑問が大きくなります。もしかしたら、俺は他の何か違うことをやりたいんじゃないのか?この勉強は俺に合ってないんじゃなかろうか?いや、合う、合わないじゃなくて、俺が合わせなきゃいけないのか?そもそも20代かそこらで将来の指針を決めることが土台無理な話なんじゃないのか?

理想と現実のギャップから来る疑念に押しつぶされた後、大学2年生が終わるころに、大学へ「退学届」を出しました。届けが受理された後、親へ連絡をとりました。そりゃもうめっちゃ怒られたましたよ当然。浪人して、無理だと思ってた大学に入学出来たかと思いきや、2年後には「辞めた」なんて言い出すんですから。自分の子供がそんなことしたらそりゃキレるわ。

アパートを引き払い、実家に帰ってからはひたすらバイトをしてました。家には居づらかったし、「自分の飯代くらい自分で稼ごう」という意識はありましたから。ただ、バイトをしている際、どうしても大学生活のことが頭から離れない。当時は疑問を抱きながら通った大学ですが、サークル活動、講義、薄っぺらいと感じていた人間関係すら懐かしく思えます。働けば働くほど、そんな気持ちがだんだん大きくなりました。実家に帰って1年経った頃、もう一度、自分は同じ大学を受けることに決めました。バイトで貯めたお金で予備校代は賄うことにしました。またあの辛く、長い日々が繰り返されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

っていう夢を2年生くらいの頃に見たっていう話をしたら、サークルの同期が「俺も似たようなの見たことあるわ」と盛り上がりました。無限ループって怖いよね。

 

 東工大受験生の皆さん、頑張って下さい。応援してます。

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